こんにちは、めぐみです。

先回は投稿を読んでいただき、貴重なコメントやフィードバックをありがとうございました!

 

前回は、子どもの養育者の生い立ちまでさかのぼり、DVや虐待の根本要因を探りました。

今回は、なぜDVを受けている人が暴力のサイクルから逃れることができないのか?

また、これからどんな支援ができるのか、考えたいと思います。

 

以前、一時保護となった外国人女性Aさんが、私に言ったことがあります。

「パパ(Aさんの日本人の夫)は私に、日本語できない、いつも言った。私は日本語できるようになりたい。」

もちろん、Aさんの日本語が上達することは嬉しいことですし、これから日本で働き暮らすために必要なことです。

Aさんが努力家で子育て上手なことも、周りの人はみな知っています。

ただ、その時私は直感的に、Aさんは心の底で、夫を愛した頃のことを思い起こしていたのではないか、と感じました。

 

この夫は、Aさんにあらゆる暴力をふるった挙げ句、非常に凶悪な手段でAさんを殺そうとしました。

まだ歩き始めたばかりの子と、当時妊娠していたAさんのおなかの子(どちらもAさんと夫の実子)に対する虐待も行っています。

Aさんのことは、母子の安全とプライバシー、言語の課題を含め、もちろん私たちが懸命に支援してきました。

しかしAさんになお、この男性の言葉を引用して自らの望みを言わしめたものは、一体何なのでしょうか。

 

人の心には、「誰かに認められたい」という思いと、「誰かを認め、許してあげたい」という優しさがあると思います。

また、人の行動は時として、他の人にとっては時間の無駄、あるいは自虐行為としか思えないような考え方に、大きく左右されることがあります。

多くの被害者の方々は、一般の人にとってはごくごく当たり前の暮らしを再開して、自分で考える力を取り戻し、多くの時が経過してはじめて、過去の環境が普通ではなかったことに気がつくようです。

その意味では、物理的にはDVや虐待から逃れた状態となってもなお、その人はまだ、心のなかで暴力を受け続けていると言えます。

 

DVや虐待の被害者の方々を支援しようとするうえで、これが正しいというような明確な答えはありません。

しかし私たちは、人が生きていくうえで当然あるべきこと、つまり安心して食事ができること、眠れること、医療や様々な社会サービスを受けられること、子どもの意思を尊重できること、知りたい情報が得られること、友人ができ、夢や希望を語りあうこと・・・

これらをもう一度、少しずつ、日々、いろんな方法でその人の周りに整え、増やす努力を重ねています。

同様に、今日のあなたのちょっとしたことばや行動、あなたにとっては何気ない手助けが、後々になってから、相手にとっての救いや気づき、自信を取り戻すための糧となり、幸せを勝ち取る大きな原動力となります。

もしあなた自身が誰かに、何かに支えられたご経験を思い出されるとしたら、あなたにもまたそれができる、ということだと思います。

 

長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂いて嬉しいです。

Aさんは無事出産し、日本語も日に日に上達しています。

先日は二人の子どもの予防接種の予約を、ご自分で取られました。

引き続き、コメントやフィードバックをお待ちしています!

めぐみ

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