5回 世界初、障がい者が気軽に使える施設

  ——大阪市長居障がい者スポーツセンター

とても、尊敬する知人がいます。彼は両足が不自由で、幼くして両親と離別。でも、伝統工芸の職人として見事な技術で仕事をしています。

今から20数年前のことです。「今晩(所属してる)スポーツクラブいくねん。一度、見に来るか」と誘われました。手ですべての操作をする彼の車に乗せてもらい、連れて行ってもらったのが、大阪市の長居にある、「その建物」でした。そして、練習風景を観たのです。車いすバスケットボール。すごかったですよ。スピードと迫力に圧倒されました。

「ここがあるおかげで、思いっきり体を動かせるし、仲間にもたくさん出会えた。ここがなかったら、どんな毎日やったやろ」という彼の笑顔は、とてもさわやかでした。

長居にある大阪市身体身障者スポーツセンター(現;大阪市長居障がい者スポーツセンター)は、今から40年以上前、197452日に開館しました。当時、身障者専用のスポーツ施設は、イギリスとドイツにありましたが、病院付設のリハビリ施設であり、単独の専門施設としては、「長居」が世界初となります。

その誕生への歩みをたどりましょう。

「長居」誕生の10年前、1964年。東京オリンピックの後、東京パラリンピックが開催されました。競技もふくめ、生き生きと自分らしく活躍する世界各国の選手の姿は、日本の障がい者に、大きな希望となったのです。残念ながら、当時、日本においては障がい者が使える単独施設はありませんでした。また、日本の公共施設は、貸館的な施設運営がほとんどなので、一人でふらりと利用するようなことも困難でした。

パラリンピックで「障がい者のスポーツ」への認識が、全国的に高まっていきした。身障害者対策基本法の成立(1970年)、身体障害者雇用促進法の改正(1976年)もありました。もちろん、まだまだ、当事者の権利ということから考えると不十分でしたが、行政が障がい者の課題に取り組むことが一つの流れとしてあったことは事実です。また、大阪では、1970年の大阪万博前後「国際的に恥ずかしくない都市に」という掛け声もありました。

もちろん、このような流れがあったとはいえ、一番、がんばったのは、当事者の方々です。

パラリンピックの翌年、「財団法人日本身体障害者スポーツ協会」が設立され、次々と各県や自治体単位の協会が立ち上がります。全国身体障害者スポーツ大会の第1回大会は、196511月に岐阜県で開催。以来、毎年開催されています。そして、各地でスポーツ大会が開催され大きなうねりを生みます。そして、1973年、国としての一つの方向性を示した、厚生省社会局更生課長通知「身体障害者スポーツの振興等について」が出されることになります。当事者の声が、自治体を、そして国を動かしていったのです。

さて、そのうねりの結晶が「長居」です。ここで、この連載の第3回で述べたシャープの早川徳次の早川福祉会館が再びの登場です。

1968828日「財団法人大阪身体障害者更生援護事業団」(後に、社会福祉法人大阪市障害者福祉・スポーツ協会に引き継ぎ)が、早川福祉会館内に設立されます。ここが運営事務局のような形となり、常設の「スポーツセンター開設」への動きを先導していきます。そして、197452日。ついに「大阪市身体障害者スポーツセンター」が完成、事業団がその運営を任されるわけです。

以来、40有余年。もちろん、ここ数年の大阪での流れを受けて、「廃止」という危機もありましたが、どっこいセンターは存続しています。なんと言っても、ニーズが多いんです。2016911日には、利用者数が累計1,000万人を突破しました。公的施設にしては、驚くべき利用者数です。

「ニーズに応えた」ーーこの「長居」の特徴は、まさにこの利用者数に現われています。

例えば、「よーし、今日は行くぞ!」と決意して、さまざまな段取りをして、仲間を募って、施設予約をして、施設使用料を払って……では、あまりにハードルが高いですよね。ガイドヘルパーさんの以来もしなくてはならない。

普段の日常生活の延長で、「いつ一人で来館しても指導員や仲間がいて、安心していろいろなスポーツを楽しむことができる」という、開館からずっと変わらない基本方針は、「長居」が当事者にとって、とても「使い勝手がいい」、当事者のニーズを理解し、それに応えようとしている証しともいえるでしょう。

また、あらかじめ施設側が用意した競技ではなくて、当事者が自主的に競技クラブを作ることが、「長居」では支援されていることも特筆すべきでしょう。同じスポーツを通じて、仲間を作ることができますし、全国の同じような競技仲間と交流も出来ます。

今、19のクラブがあります。そして、その多くが全国の障がい者スポーツの振興に多大な貢献をしています。そのなかから、日本選手権大会まで発展してきた大会もあります。もちろん、開館3年目から現在まで、パラリンピックなどの国際大会に出場している選手も、多数出ています。

地域との交流にも熱心です。数千人の地域住民も参加する盆踊り、利用者が地域でスポーツを教えるイベントも盛んです。障がいの如何にかかわらず、地域住民として交流できることは大切ですね。

世界で初めて、またかけがえない個性を持つこの施設が、いつまでも存続することを、願いたいです。