こんにちは。私は、女性と子どもを支援しているソーシャルワーカーです。今回の大阪での事件、心が痛みます。何とかしたいですね。「大阪子どもの貧困アクショングループ」さんにお声をかけていただいて、少しずつ投稿させていただくことになりました。

初回は、当事者がなぜ声をあげることができないのか?なぜ私たちがアクションを起こし、アウトリーチする必要があるのか?について伝えたいです。

過去にDVや虐待を受けたことのある人の心境や生き方について、誰しも多かれ少なかれ、自分自身の人生と照らし合わせて考えてみたご経験があるのではないかと思います。確かに、DVと一口に言っても様々で、被害者の受け取り方も人それぞれです。被害者をどのように支えていくことができるのかを考えるとき、私たち支援者は、DVそのものの性質だけではなく、その人の生育環境にまでさかのぼります。

例えばあなたが子どもの頃に、あなたの親が、恋人ができたり薬物依存になったり借金から逃げたりして、あなたのもとを去ったとします。残されたあなたは、生きていくためには受け入れるほかない運命と、あなた自身にしかわからない喪失感、幸せになるにはどうすればよいか家族のなかで学べなかったハンディキャップを抱えて、人生を歩むこととなります。大人になっても、社会生活の多くの機会において、普通の人なら当然享受できる権利に気がつかず、現状から抜け出そうとする力が持てず、他人や自分自身を責めたり、支配関係を受け入れることで、自分の存在意義を確かめるほかないかもしれません。そうして、DVや虐待の被害者、加害者体験が繰り返されていきます。

ですから、幸せになろうとしてそれがどんなに正しいこと、良いことであっても、あなた自身の努力や忍耐のみに頼るのはとても危険なことです。どのような接点であっても、誰かがあなたのことを知り、気にかけ、声をかけ、たとえすぐに答えがでなくても、繰り返しあなたの心に問いかけていく必要があります。そしてこれらのことは、誰でもできることです。心のなかで、本当は心配だけど、日々の自分のことに追われてずっと後回しになっている人はいませんか。

次回以降は、DVから子どもの虐待への連鎖についてもう少し詳しいことと、乳幼児期の子どもの発達への影響などを投稿できればと思っていますが、今回の投稿へのコメントやフィードバックをいただくことができれば、大いに反映したいと思っています。少しでもあなたの心に留れば、嬉しいです。

めぐみ

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