【活動4周年のメッセージ】
「あなたのやけっぱち、応援するよ!」
ある講演終わり、わたしにそう声をかけてくださった方がいました。
2013年5月24日、大阪市北区天満での母子の変死事件の起こった翌日、5月25日から始めた活動も、本日で4年が経ちました。ふり返ると「やけっぱち」という言葉は、今、とてもフィットします。
行動するしかないと具体的に手や身体を動かすことにチカラを注いできました。大阪子どもの貧困アクショングループとつけた意味はそこにあります。徹底的に簡単に「わかる」ということをしてきませんでした。小手先なんかで解決できる問題ではないと考えたからです。この親子の悲劇を理屈だけで小さくまとめたくはありませんでした。
「今、できることはなんだろう?」と問い続け、できることがあればすぐやる。出会ったしんどい状況に置かれている親子や自分や仲間のニーズを少しずつ満たす。たくさんの失敗もありました。でも小さくても行動した先に光が見える。そうしたことの積み重ねで活動を展開してきました。
一方思うのが、自分の生きづらさや、知らない間に信じてしまっていた価値観や思い込み、そういう自分自身に切り込み、向き合ってきた4年でもあったということです。活動を始めるまでは、学校がキライで人付き合いが苦手。めんどくさいことは徹底的に避け、効率的に生きようと努めてきました、子どもが生まれるまでは!子どもを一人で育てることは私にとって思っていた以上に困難でした。
また同じように、私たちのもとにSOSをくださる方のほとんどが「誰も頼る人がいない」、孤立している方々ばかりです。そのもとに子どもがいて生活が立ち行かなくなっておられます。人付き合いはめんどくさいことばかり。
自分や人々が近代化の中で望み、サービスやら使い手放し、めんどくさいことを避けてきた結果、行き過ぎてしまい、社会的に弱い人たちにしわ寄せがいき、生きづらさを抱える人が増えている。結論、やはり人は一人では生きていけない。困ったときに支え合えるぐらいは、何らか心ある人と関係をつくっておく必要があるということではないかと考えています。
人とつながるチカラ、手放してきた知恵や工夫を取り戻し、自分なりの形にしていく。手は遠くまで届きませんし、触れるものにも限界があり、できることはすでに誰かがやっている。やってもやっても砂漠に水一滴、、そんな気持ちになることも多いですが、「でもなんとか生きる。子どもたちがいる、やるしかない!」とヤケッパチで、それに抵抗しているとも言えます。
日々、答えのない形にならないことばかり。そのヤケッパチの中、4年続けてこられたのは「時々がんばってるね。応援してるよ」など言ってくださったり、自分のがんばりを見守り、実際にサポートしてくださる心ある方々の存在です。
人は自分のがんばりを誰かに見てて欲しい。「自分だけではがんばれない」、そういう弱い存在でもあります。特に家事、育児は誰もほめてくれませんし、物事はそうそう努力が報われることはなく、何度やっても上手くいかなかったり、環境に恵まれなかったり、他人と比べてしまい、恨んだり妬んだりしてしまう。それを他人にぶつけ、うさばらしをしても事態は好転せず、さらに自分のことがキライになっていく。
「どうしてこんな人生になってしまったんだろう?」相談の中でよく聞く言葉です。「でもまだ終わってない。」世の中は不平等で、公正でもない。でも手の届く範囲で少しでも良いと思うことを小さくてもいいからやっていく。心ある人もたくさんいる。腐らず、支え合って生きていこう。そういったことで自分や関わっている方々と支えあいながらなんとか日々を生きています。弱いものの知恵とでもいうのでしょうか?
そして関わってくれている、「わたしを見て。」「ぼくを見て。」とずっと言う子どもたちに、「世の中は、捨てたもんじゃない。」自分を大切に思っている人はたくさんいるってことを経験の中で知って欲しい。これから様々あるだろう出来事に、自信を持って、人とつながっていれば何とかなる、何とかなると思える、心や身体を育てていって欲しいと願っています。そんな「子どもが育つ」環境をこれからも心ある方々と共につくって行きたい。
ここまで全力でやってきましたが答えはなく、これからも分かりません。でもまだまだ、初心、「子どもが巻き込まれる悲劇を繰り返さないために」できることがある限り、行動していきたいという思いに変わりはありません。
子どもを親だけの責任とせず、社会で子どもを育てる、その具体的な取り組みです。共感してくださるみなさま、いつもありがとうございます。そしてこれからも見守り、引き続きのご支援・ご協力をいただけますようよろしくお願いいたします。
大阪子どもの貧困アクショングループ
NPO法人CPAO 代表 徳丸ゆき子