【4周年のメッセージ②】

今回はスタッフ&関係者の声をお届けします。

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「家族は大切だ。」
誰もが同意する言葉だ。
「子どもたちのために。」
そう言えば非難されることもない。

僕はCPAOの活動に出会う前から普通にそう考えていたし、今は?と聞かれても、その言葉自体を否定することはできない。
でもそこに意味する見えてくるものや感じられるもの、できること、やりたいことは大きく変わってきた。

CPAOで子どもたちと出会い、親でも家族でもない関係で、ひたすら子どもたちやこの子たちを取り巻く社会や様々な問題と向き合う。そうすると、今までの自分が知り得てきた考え方がひとつひとつ崩され、こねくり回されていく。
親はこうあるべき?
子どもはこうあるべき?
家族は?先生は?大人は?社会は?世界は?
こねくり回しているのは自分自身だけど。
そうなると「べき」を一度リセットし、自分の持てるものをすべて吐き出してみて、この子たちと一緒になって自分も「生きる」ということを問うてみたくなった。

でも「べき」を取っ払うと言っても簡単ではない。それは大人が規律化して安定を保っていると信じている社会や家族の在り方に疑問を投げかけることから始まるからだ。
だからCPAOではよく「枠を越える」という言葉を使う。
「どうせ〜」という言葉を嫌う。
「〜しかできない」と言いたくない。
そこにこそ、CPAOの姿がある。

CPAOで出会う子には様々ある。
それぞれの環境や条件は違うけど、まさに十人十色、みんなこの息苦しい社会を何かしらのしんどい状況で生きている。
日々、そんな子たちと接する中で、自分のできることを片っ端からやってきた。
以前、ボランティアの方にも心情を語ったが、
「仕事中でも、食事中でも、寝てても、もし親戚の子が事故に遭ったと連絡あればなんとかして駆けつけて、できること探すでしょう。それを毎日やってるだけです」
という言葉に偽りはない。

CPAOは5年目に入る。
できることは増えたようにも見えるが、それに引き換えできないことをどれだけ自覚させられたか。きれいごとを言える口は閉じてしまったが、代わりにこれまでだけでも多くのことを学んだ。
1番大きいのは、子どもたちに備わる「生きる力」だ。
彼ら彼女らが自らのその力に気付いた時の姿には身震いさえする。
ここにこそ、希望がある。
この先、この子たちが自由に力を発揮していけるように、おもいっきり楽しめる環境を整え、心ある人とつながり、そして一緒に何かを作っていこう。
もうすでにワクワクしているな。
そういう人生を遊びたい。

CPAO事務局長&施設長
兼松徹

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CPAOって何なのかな〜?
C-PAO? Children PAO? 子どもたちのパオ(家)!!
なんだか楽しそう〜♪ここってちょっとワクワクする場所!?
いやいやそうではない。
けど、そうでもある。
必要な子どもに衣食(住)を提供する場所なんやけど
それだけではない。
宿題をしたら、まずはごはんをモリモリ食べて、
汚れていたらお風呂に入って着替えて。
ボール遊びにかくれんぼ、おもちゃであそんで、絵本を読んで
ハンモックでお昼寝もして、畑で野菜を作って、
休みの日は遠足にも行く。
喧嘩もするけど、次は何をしようか子どもどうしで相談している。
子どものしたいこと、みーんなできる。
豊かなココロ、明るい未来の夢を持てる子どもに育つ
PAOなんやと思う。
これだけの事を少人数のスタッフとボランティアでやって行くのは
大変な労力、気力がいるんやな〜。(もちろん資金力も!)
ここは生きるだけ、生活を保つだけのPAOではなくて、
もう少し、いえいえもっと
ワクワクできる楽しいPAOであるんやな〜。

CPAOアートディレクター
たかはしなな

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私は、土木技術者のサラリーマンをしている家族の主人です。家族を守る。隣人を守る。社会を守る。そういった仕事をしていますが、そのような「守る」という本質がCPAOの活動にあると思います。
CPAOが活動を開始した当初から関わっているメンバーですが、人を守るのは人。仕組みやモノではなく、人でしか人を支えられない。そういうことを痛感しています。
「子どもらと自然に関わってくれるだけで良い」そんな思いもしない言葉をお掛けいただき、GW、夏休み、お正月の休みのイベントのお手伝いを続けることができました。子どもたちとの時間は、とても豊かと感じることが多くありました。しんどい暮らしをしている子どもたちの居場所を作る。今、CPAOが見つめている未来への時間の尊さは、どんな人にも希望になると思います。

CPAOくらぶアシスタント&ファンドレイザー
松田哲祐

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“まるごと”の時間こそCPAOの魅力

「CPAOとはどんなところなんですか?」と、よく訊かれることがあります。いま流行りの「子ども食堂」とも違いますし、結局、やっていることを羅列して説明することになるのです。ひとつの枠にはおさまらないありようそのものがCPAOなのかもしれない、とも考えるようになりました。
CPAOと出会い、映像記録をするようになってから3年。この間、CPAOの活動内容は随分増えて変化もしてきました。月1回、「CPAO食堂」として始まった活動は、やってくるようになった子どもたちの置かれた環境や状況から迫られて、すぐに週1回となり、夏休みを前にして週3回の活動に増えました。「食堂」という枠にはおさまらない、子どもたちの遊び場であり、居場所へと変化していったのです。ごはんを食べることができる学童、といったところでしょうか。しかし、そう言ったところで、的を射た説明とは思えないのです。CPAOの拠点「たつみファクトリー」ではお風呂に入ることもできるし、汚れた服を洗濯することも可能です。必要とあらば、子どもたちはお泊りすることだってできます。こんな場所をなんと表現したらいいのでしょうか。
最近では、「部活動」とよばれる活動もうまれてきています。子どもたちがやってきた当初、ほんとにケンカや争い事が絶えませんでした。自分の利益だけを考え、いかに人より優位に立つかということにこだわり、すぐに暴力で応じていた子どもたち。「どうせ、わたしなんか、俺なんか…」と自暴自棄になって投げやりな行動に走りがちだった子どもたち。そんな子どもたちに「なにがやりたいのか?」とCPAOは問いかけるのです。「やりたいこと、やってみようよ」と誘い、子どもたちが動き始めたら、ちょっとうしろから背中を押してあげるのです。畑部、クッキング部、スイーツ部、ピアノ部等々。「部活動」は子どもたちの楽しみであり、喜びにもなっています。もちろん、CPAOでは本を読んだり、マンガを読んだり、DVDを観たり、ママゴト遊びをしたり、自由に過ごすことができます。ゆるやかに「部活動」は日常のなかに組み込まれているのです。出会ったひとり一人の子どもたちを大切に受けとめていくための、全部ひっくるめての“まるごと”の日常的な時間として、CPAOの活動はあるのです。それは、子どもたちの貴重な生活の一部となっているに違いありません。家や学校にも劣らない時間を子どもたちはCPAOで過ごしているのです。
これまでのCPAOでの体験を通して、子どもたちは本当に変わりました。ボランティアの方々が少ないときなどは、子どもたちは自分たちで料理もします。仲間の誕生日にはバースデーケーキを作ってあげたりもするようになりました。支援する、支援されるといった関係を越えた、子どもたちにとっても主体的な場になってきたと感じています。
CPAOは、これからも変化し続けていくでしょう。活動の枠組みにとらわれることなく、出会った目の前の子どもたちにとって必要とあらば、さまざまな活動をこれからも生みだしていくことでしょう。まるごとの時間、こそ、CPAOの魅力なのだと改めて思うようになりました。そして、その、まるごと、をどう映像記録していくのか、それがいまのところ、私に課せられた仕事だと思っています。

CPAOくらぶカメラ部リーダー&活動記録
刀川 和也

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保護者の声
CPAOとは…一言で表すには難しいですが、「子どもの目をキラキラとさせてくれるところ」でしょうか。 片親で、子ども達にはさせてあげられないことがたくさんあります。時間的に、金銭的に。それをCPAOでは、子ども達の「○○がしたい」をすぐに実践、体験させてくれます。子ども達が「したいこと」なので子ども達はみんな目をキラキラさせながら活動しています。 私の子ども達もしたいことがあるといつも「今度CPAOいつ行くの??」といいます。

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支援者の声
生きるチカラは、子どもたち自身が持っている。
環境を整えると言うのは、スペースや道具を準備することだけではなく、まずお腹いっぱい食べて、ゆっくりのびのび過ごせる場所と、安心して甘えられる大人がいるということ。環境を整え、子どもたちの中から、学びたい!やってみたい!という思いが育つのを待っていられる体力を周囲が持つこと。CPAOがそんな存在として続いていけるように、私にできることは、いつも、ほんの少しのことだけどやっていきたいと思います。